デザイン思考・人間中心設計の落とし穴(2)
こんにちは、デザイニング・アウトカムズ研究所の田平です。
デザイン思考・人間中心設計の落とし穴(1)より、およそ1年ぶりの続編です。でも年1シリーズではありません。ただただ日々の業務の忙しさにかこつけて、ずるずると執筆を怠ってしまいました。誠に申し訳ございません!
さて、気を取り直して、そのおよそ1年前の前回の記事より、「(1)手段が目的化している」という罠から抜けるためにはどうしたら良いかについて述べたいと思います。
アウトカムを設定しよう
結論から言うと実に単純なのですが、製品・サービスをつくる本来の目的をしっかり持つことです。この本来の目的のことを我々の中では「アウトカム(Outcome)」と呼んでいます。あまり聞き慣れない言葉ですが、行政や医療、教育、研究の分野では「アウトプット(Output)」と対比する言葉としてよく使われますし、重要な意味合いを持っています。
アウトカムを辞書で調べると「結果」や「成果」という意味が出てきます。これと日本語でイメージされるアウトプットとどう違うのでしょうか? それを示したのが下表です。
例えば、図書館のアウトカムを「周辺住民の知的水準を上げ、文化的な生活をもたらすことである」と常に意識していれば、「既存の図書館の機能やサービスに足りないものが何か?」を想像できる以上に「そもそもアウトカムを実現するためには、今のような図書館のあり方でなくても良いのではないか?」といった新たな発想の源泉となる問いにつながります。
一方、アウトプットを目的としてしまうと、既存の製品・サービスの枠組みから抜けられず、精々、となり町の図書館に負けないように、蔵書数を増やし、職員数を増員して貸し出しサービスの迅速さを競うなど、単なるスペック競争による既存の図書館のサービス改善に留まってしまいます。
アウトカムなきアウトプットでは意味がない
このように、アウトプットはあくまでも「出力」であり、一義的には出力が有ったか無かったかが問われるもので、その良し悪しが問われるものではありません。一方、アウトカムは「出力」を通じて得られる「成果」であり、その成果の良し悪しが問われるのです。
つまり、製品・サービス(アウトプット)を通じて、人々の日常生活にどのような良い変革(アウトカム)をもたらしたいのかを、提供する側が意志をしっかりと持った上で、その実現に向けて邁進することが、本来の目的を見失わない重要なポイントとなるのです。
よくありがちな「なんとなく今までの仕事の延長線上で」、「仕事でお給料もらうために」、「会社のシーズの都合で」、「株主と約束した数値目標を達成するために」などの理由で、製品・サービスをつくっているなどは、典型的なアウトカムなきアウトプットであり、これでは生活のイノベーションを実現することはできません。
ペルソナ、カスタマージャーニーマップは副産物
では、デザイン思考や人間中心設計の実践で生成される、ユーザー観察調査の結果やペルソナ、サービスシナリオ、カスタマージャーニーマップは、どのように位置づけられるでしょうか?
これらをつくるだけで仕事が終わった気分になったり、もうお腹一杯でその先進めないようなことがあっては本末転倒です。これらは、アウトカムの実現に向けたアウトプットをつくるための必要な工程ではありますが、アウトプットである製品・サービスの更に手前で出てくる「副生成物(by-product)」に過ぎません。もっと言うと「中間生成物(intermediate product)」とも呼べないものです。
しかも、これらをつくる際にも、アウトプットの先にあるアウトカムを常に意識して取り組めているでしょうか? アウトカムが欠落していれば、副生成物としての価値もありません。
かつて「予算確保と景気浮揚のための箱物行政」、「個人業績を上げるための研究のための研究」、「診療報酬点数を稼ぐための医療」などは、生活者に幸福をもたらさないアウトカムなきアウトプットとして、世間からの批判に晒されてきました。
企業活動も同じです。アウトカムなきアウトプットをのべつ幕なしに生産し続けてると、最後には生活者にそっぽを向かれてしまいますよ。
さて、次回は「(2)カイゼン活動と同じやり方に固執している」という罠から抜けるためのポイントについて述べたいと思います!
では、また来年!(←冗談だってば)